いよいよ間近に迫った
リオデジャネイロ・オリンピック!!

48年ぶりのメダル獲得を目指す、
サッカーU-23日本代表に
オーバーエイジとして選出された

塩谷司(サンフレッチェ広島)選手

の特徴と魅力をご紹介します!

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塩谷司は高校・大学と無名の選手だった

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塩谷司選手は1988年12月5日生まれの27歳

小、中時代は全くの無名の存在でしたが、
徳島県立徳島商業高校時代
2度の選手権に出場し、2年次の第84回大会では、
ボランチとして攻守にわたり活躍

3回戦で名門鹿児島実業に敗れるも、
ここでの活躍が認められ、
国士舘大から特待生としてのオファーを
受け入部します。

大学時代も、主にボランチとして起用されるも、
レギュラーを獲得するには至らず、
プロへの道は険しいと思われていました。

しかし、4年時に国士舘大サッカー部コーチに
就任した、元日本代表キャプテン柱谷哲二との
出会いが彼のサッカー人生を
大きく変えるきっかけになります。

塩谷司は・・あの柱谷哲二にコンバートされた!

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柱谷は就任して間もなく、どちらかといえば
攻撃的な意識の強かった塩谷を、
センターバックへとコンバートさせます。

このコンバートには柱谷の明確な狙いがあった
といわれています。

2002年、当時コンサドーレ札幌の監督を
務めていた柱谷は、入団2年目の今野泰幸
センターバックにコンバートしました。

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潜在能力を開花させた今野はその後、
日本代表に定着し、押しも押されぬ
日本屈指のセンターバックへと
成長を遂げたのです。

柱谷は、テクニックに優れ
闘争心と冷静さを併せ持つ塩谷を、
かつての教え子であった
今野に重ね合わせ、

センターバックとしての役割を
徹底的に教え込みました。

当初は「あくまで攻撃的な選手」だとして、
コンバートに対し懐疑的であった塩谷自身も、
センターバックとしての適性を身につけるにつれ
自信を深めていき、大学4年時には
チームに欠かせない

ディフェンスの要に成長していきました。

【関連記事】岩波拓也と植田直通が日本代表のCBを担う日は?リオ後に海外移籍か?

塩谷司J2水戸→J1広島→日本代表へ

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国士舘大学卒業後、恩師柱谷哲二が
率いることになった、J2水戸ホーリーホックに
入団した塩谷は、

開幕戦からレギュラーに抜擢され、
瞬く間にチームに欠かせない存在になります。

その活躍が認められ、
J1サンフレッチェ広島に入団。

森保監督の下、2013年シーズンには
DFラインを統率し、
広島の史上4チーム目の連覇達成に
大きく貢献しました。

翌年にはアギーレ体制の日本代表にも
初選出された塩谷選手

大学3年時まで試合に出ることすら
できなかった無名のプレーヤーの
サクセスストーリー
まだまだ始まったばかりです。

塩谷選手の最大の特徴は、その類まれな

ビルドアップ能力です。

ディフェンスのプレーヤーでありながら、
リーグ屈指のパスセンス
組み立て能力を持ち合わせており、
得点に絡むことも少なくありません。

また正確なフリーキックのキッカー
としても知られています。

時にはディフェンダーとは思えないほどの、
攻撃参加からのゴールを決めることもあり、
まさにブラジル代表ダヴィド・ルイス
のような攻守に躍動するCBだといえます。

リオ五輪でも塩谷選手のゴールに期待です!!

塩谷司の円形脱毛症が悪化?まとめ

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「塩谷司の円形脱毛症が悪化?リオ五輪OAゴールに期待!海外移籍は?」

広島移籍直後は、森保監督の下、
徹底した戦術面での指導を受け、

円形脱毛症を発症するまでに
思い悩んだ過去を持つ塩谷選手

そのような壁を1つ1つ乗り越え
現在では日本屈指のCBへと成長を遂げました。

かつては、プロへの進学を諦め、
弟の大学進学への学費を稼ぐため、
企業への就職を考えていた
ともいわれる塩谷選手。

結婚し家庭を持った現在でも、
家族思いの人柄として知られています。

48年ぶりのメダル獲得へ、叩き上げの努力の天才、塩谷司に注目です。

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最後までお読みいただきありがとうございました。