プロ野球の広島カープが、最後に優勝したのはなんと1975年(昭和50年)です。
広島カープを通称「赤ヘル」と呼びますが、赤ヘル旋風が巻き起こったのはもう遠い記憶です。

私は、プロ野球ファンですが・・
確かに広島カープが優勝したところを見たことがないと思っていました!!
1975年(昭和50年)は、私の生まれる前ですからね。 (笑)

しかし、最近の広島カープは万年Bクラスの低迷期を脱し
優勝が狙えるチームに変貌しつつあります!

赤ヘル軍団の強さの秘訣に迫ってみたいと思います!!

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赤ヘル1975年(昭和50年)に最後の優勝

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赤ヘル軍団が最後に優勝したのは、 1975年(昭和50年)です

その年のセントラルリーグの最終順位は

優勝 広島
2位 中日
3位 阪神
4位 ヤクルト
5位 大洋
6位 巨人

でした。
優勝が広島で、最下位が巨人と、
近年のセントラルリーグの状況と真逆ですね。

当時、広島カープの主力メンバーには、

4番 山本浩二 選手
5番 衣笠祥雄 選手
エース 外木場義郎 投手

がいました。
山本浩二さんは現役引退後、 1989年から1993年と、
2001年から2005年に監督として広島カープのユニフォームを着ているので有名ですね。
日本代表チーム・侍ジャパンでも監督を務めました。

赤ヘル軍団が1975年(昭和50年)に優勝した時の成績は、
打率、本塁打、得点は他球団並みですが
特筆すべきは「盗塁126個」です。

この年の優勝は、走力でつかんだ優勝だといえます。
近年もそうですが、やはり優勝するには走力が不可欠です。

赤ヘル軍団が優勝を狙える理由

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最近の広島カープが優勝を狙える要因は・・ズバリ!!

選手たちのカープ愛が半端ない

アメリカ大リーグで活躍していた黒田秀樹投手が推定年俸10億円を捨てて、
日本球界の広島カープに戻ってきました。
金銭では変えられない価値を、広島カープに持っています。

黒田選手達は、復帰後まず「カープで優勝したい」と言いました。
カープ愛が半端ないですね。

さらに、広島カープには「カープ女子」と言う言葉が生まれるほど、
熱狂的な女性ファンがいます。

最近は、サッカーなどの他のスポーツが盛んになり、
野球人気の低迷がささやかれていますが、
広島カープは選手だけでなく、ファンも熱狂的です。

選手も、ファンもカープ愛が半端ないです。

自分自身のチームを愛しているということは、やはりそれだけ大事なことだとおもいます!

赤ヘルが優勝まとめ

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「赤ヘル新黄金時代!カープ愛で1975年の山本浩二以来の優勝か?」

どうでしたか?

山本浩二さんが現役時代
広島カープは、「赤ヘル軍団」と呼ばれ、
他球団から恐れられる存在でした。

しかし、近年は低迷し
なかなかBクラスを抜け出せません。

最近は、ペナントリーグ前半戦までは好調です。
後半の勝負どころで勝てるように、
経験自信をつけて、久しぶりの優勝を見てみたいものです。

赤ヘル軍団の優勝を!!

最後までお読みいただきありがとうございました。

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