2016年12月31日大晦日、女性最年長アーティストとして第67回NHK紅白歌合戦へ出演した高橋真梨子さん

 

激やせした様子に多くのファンが体調を心配する声をあげましたね。

 

高橋真梨子さんの今と昔の体重は何キロで、どのくらい違うのでしょうか?

 

また、若い頃からのトラウマの原因が母親との過去にあると語られていますが、その内容は?

 

2016年の紅白歌合戦のトリを務め、日本で最もコンサートチケットが入手困難な歌手・高橋真梨子さんの人生について掘り下げてみたいと思います。

 

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高橋真梨子が2016年紅白歌合戦トリで出場

高橋真梨子さんは、2016年の紅白歌合戦にトリとして登場

 

芸能生活50周年を迎える高橋真梨子さんの歌声に多くのファンが酔いしれました。

 

数々の昭和の名曲を産み出してきた高橋さんですが、今の若い年代の方には馴染みが薄いかと思います。

 

しかし、2016年の紅白歌合戦へトリで出場したことをきっかけに、より多くの世代の方に高橋真梨子さんの存在が認知されたのでは無いでしょうか?

 

高橋さんの名曲の数々は、親から子供へ引き継ぎたいものばかりですね。

 

➤高橋真梨子【紅白トリ】ごめんねへすすむ

 

高橋真梨子の今と昔の体重は何キロ?

 

しかし、紅白歌合戦での高橋真梨子さんの激やせぶりに驚いたファンも多かったのではないでしょうか?

 

3年前の2013年にTV出演した時と比較して、明らかに痩せた姿の高橋真梨子さん

 

この時すでに、高橋さんの体はボロボロの状態・・

 

夫のヘンリー広瀬さん曰く、「ベスト体重は41キロ」ということですが、そこからなんと、7キロも激やせしていたそうです。

 

それだけ体重が落ち、痩せていたら体力はなくなってしまいますよね。

 

そして、実際に2016年の紅白歌合戦へ出場した際のスタッフの話では「今の体重は33キロ以下」とも

 

そこまでしてステージに上がり歌い続ける高橋真梨子さんの原動力は何なのでしょうか?

 

➤高橋真梨子激やせの理由へすすむ

 

高橋真梨子の激やせは病気【更年期・うつ病】?

 

高橋真梨子さんの激やせは病気なのでしょうか?

 

痩せ過ぎていて筋肉がない高橋さんは、「いつも氷水の中に足をつけてる感じ」と語っています。

 

コンサート本番では力強い歌声を披露されていますが、終了後は誰かの支えがないと立っていられないほど。

 

「体調が良い日は年に2回ぐらいしかない」

 

くれぐれもお身体には気をつけて歌手活動、コンサート活動をしてもらいたいと思います。

 

➤高橋真梨子【更年期・うつ病】へすすむ

 

高橋真梨子の体調不良の原因は過去のトラウマ?

 

高橋真梨子さんはご自身で、「口では言えない人生だった」と語るほど幼少期に壮絶な人生を歩んできたようです。

 

その幼少期の過去の記憶が、更年期で一気に自分に降り掛かってきて、うつ病を発症したそうです。

 

高橋真梨子さんの体の中では、時が過ぎていない過去の辛い記憶・・

 

それは、高橋さんの父親と母親、家族の物語です。

 

高橋真梨子の父親と母親

高橋真梨子さんの両親は、昭和20年8月6日広島で被曝

 

その後、結婚し、高橋真梨子さんは昭和24年3月6日に産まれます。

 

父親はジャズマンの月夫(つきお)、母親は千寿子(ちずこ)という名前でした。

 

しかし、両親は、高橋さんが10歳の時に離婚

 

現在は、高橋真梨子さんの母親とおばあちゃんのお墓は広島県広島市にあり、そして、少し離れた場所に父親のお墓もあります。

 

高橋真梨子は父親が大好きだった

 

高橋真梨子さんが幼少期を過ごした当時の博多は、アメリカ軍が駐留し、父親のジャズはアメリカ人に大好評だったようです。

 

ジャズシンガーだった父親は、高橋さんの憧れであり、大好きな存在でした。

 

しかし、その父親は37歳の若さで亡くなってしまいます。

 

原因は、脱疽(だっそ)という病気でした。

 

脱疽とは?

壊死の一種。壊死に陥った組織が,乾燥や感染などで2次的変化を受け,性状や外観が著しく変ったものをいう。一般に壊疽または脱疽といわれるのは湿性壊疽で,壊死巣が腐敗したものをいう。これは嫌気性の腐敗菌によることが多く,病変部位は泥状できたなく,異臭を放つ。

 

父親はスコップで足の親指の付け根を切断、すぐに治るだろうと放置していたら、なかなか治らず傷口が黒ずんでくる。

 

半年後、やっとに病院へ行くと「脱疽」と診断され、その後、両足を切断することになります。

 

血液の病気なので、免疫力がゼロなのでちょっとした病原菌でも全然抵抗することができず、足を切断する以外にはなかったようです。

 

「父のことが大好きでしたね」と、語る高橋真梨子さん

 

現在の音楽での活躍は、父親の存在無くしては語ることができませんね。

 

高橋真梨子の過去のトラウマは母親にあった?

 

高橋真梨子さんは、母親を憎みゆがんだ幼少期を過ごしてきました。

 

父親・月夫の高額な治療費が次第に家計を圧迫してくると、母親・千寿子は中洲のキャバレーで働き治療費と生活費を稼ぎ始めました。

 

離婚した、父親は広島へ帰り、家族が離れて暮らすことになります。

 

母・千鶴子の帰りは遅く、隣の子供と一緒に寝るようになった高橋真梨子さん

 

幼少期は「人見知りもしたし、人前に出るようなタイプではなかった」そうです。

 

次第に母親が知らない男を家に連れてくるようになり、その頃から母親への反抗が始まりました。

 

母親が連れてきた男は、度々、母親にひどいことをしますが、母親はその男の人がないと生きていけないと必死になります。

 

その母親の姿が、次第に憎しみ変わっていき、高橋さんは異様な家庭環境の中で居場所をなくしていきます。

 

当時の小学校の先生からは「悲しいほどの寂しさを感じさせる性格です。家で何か心配事でもあるのでしょうか」「親しい友達もいないようで教室で1人で絵を描いていることが多い」と、学校の先生も気づくほど切ない寂しさがにじみ出ていた幼少期だったようです。

 

高橋真梨子は歌が救いだった

 

そんな中。真梨子を救ったのが『歌』でした。

 

父親の影響からか、音楽に接している時だけ嫌なことを全て忘れることができ

 

「将来は歌手になりたい」という夢も出来た真梨子

 

小学5年生の時に両親が正式に離婚

 

その後の母親との生活は相変わらずで、成長するにつて男女のことが分かるようになると、ますます母親の憎しみが増えていきます。

 

学校で度々問題を起こすようになりますが、学校へ謝りに来る母親の顔はあざだらけ

 

「母親の顔をみんなに見られるのが嫌だった」そうです。

 

ある日、道路を渡るときに真梨子の手につかまってきた母親

 

振りほどいた真梨子でしたが、その時は怪我で母は目が見えない状況だったようです。

 

『歌』への希望と、母親への『憎しみ』が交差する思春期でした。

 

高橋真梨子の芸能界デビューはスクールメイツ

両親の離婚後、真梨子さんは広島市内で1人暮らしをしていた父親を訪れるようになります。

 

両足を失ってもステージに立ち続けていた父親を誇りに思っていた真梨子

 

母親とは違い「父親には何でも話すことができた」と語り、歌手になりたい想いも打ち明けます。

 

しかし、父親は「歌手をやってもいいが芸能界に入っては駄目」と。

 

その後、父親は亡くなってしまいますが、真梨子さんは博多に戻ると父親の元バンド仲間にレッスンを受けるようになります。

 

父親が亡くなり、歌しか頼るものがなくなった真梨子さんでしたが、次第に博多に歌の上手い女の子がいると評判が広がります。

 

東京の大手芸能プロダクションからのスカウトが来てスクールメイツのメンバーとして芸能界へデビューが決まります。

 

高橋真梨子とペドロ&カブリシャスの出会い

当初、「私は行きたくない」と芸能界デビューはしたくなかった真梨子ですが、母親は「行きなさい」と強く勧めました。

 

 

グループ活動が苦手で、踊るのが嫌だったと、約3年でスクールメイツを辞め博多に戻ります。

 

博多ではクラブでジャズ歌手をするようになり、九州一歌の上手い歌手になりたいという夢を叶えます。

 

相変わらずスカウトは来ますが、断り続ける真梨子でしたが、ボーカルが失踪し、困っていたペドロ&カブリシャスのオファーを「1年契約」と約束し、再び歌手としてデビューします。

 

スカウトへ出向いた、後に夫となるヘンリー広瀬は、「生意気な女だなぁ」と思ったそうです。

 

しかし、「生意気な女だからこそ、こんな歌が歌えるのかなぁ」とも思ったと後に語っています。

 

1972年に、高橋真梨子はペドロ&カブリシャスに加入します。

 

➤夫のヘンリー広瀬とは?へすすむ

 

高橋真梨子の名曲

高橋真梨子さんは多くの名曲を世の中に送り出してきました。

 

1973年 『ジョニィへの伝言』、『五番街のマリーへ』

1974年 紅白歌合戦初出場

 

1978年からソロとして活動

同年、『あなたの空を跳びたい』

1982年 『for you・・・』

1988年年 『桃色吐息』

1992年 『はがゆい唇』

1998年 『遥かな人へ』

※リレハンメルオリンピックNHKテーマソング

1996年 『ごめんね』

※90万枚を売り上げた最大のヒット曲

 

➤高橋真梨子【2016紅白トリ】ごめんねへすすむ

 

高橋真梨子と母親のその後は?

 

真梨子が歌手として成功した後も母親は男性と生活を続けていました。

 

母親との唯一の接点は、仕送りだけ。

 

 

ヘンリー広瀬49歳、高橋真梨子44歳で結婚

 

1993年には、ニューヨーク・カーネギーホールでコンサートを成功

 

仕事もプライベートも順風満帆でしたが、母と和解できないまま39年の月日が流れます。

 

しかし、1998年8月母親にガンが見つかります。余命は半年

 

当時母親は博多でスナックを経営しながらひとりで生活してたそうです。

 

 

病院でガンに犯され弱りきった母の姿を見ると、16歳で上京した時に、心配して東京にやってきた母親の姿を思い出します。

 

その当時は母親を受け入れる事は出来なかった真梨子ですが・・

 

「今考えると母には母の人生もあるしね。好きになった人と一緒にいたい気持ちもわかる」

 

「やっぱり恋愛もしたいだろうし。だから、申し訳ないなと今では思っています」

 

心のわだかまりがとけていき、博多の病院で母親の手術が終わると、東京の自宅で一緒に暮らすようになります。

 

これまでの時間を取り戻すように、真梨子は母親から一刻も離れず看病し、やっと普通の親子に戻れたと感じたそうです。

 

しかし、余命半年を待たずに、約4ヶ月で他界します。

 

高橋真梨子の歌う原動力

母親の住んでいた博多の自宅へ行き遺品整理をする真梨子

 

そこには、これまで高橋真梨子が出演した大量のビデオと雑誌のスナップがありました。

 

そして、唯一の接点だった仕送りのお金には一切手が付けられていなかったそうです。

 

離れていても、誰よりも一番応援してくれていたのは、母親だったのです。

 

「もっと時間があれば2人の時間があれば検査も連れて行けた。」「自分ではいつも後悔しています」と語る真梨子さんが印象的でした。

 

 

高橋真梨子さんは、母親との過去の思い出がトラウマと語っていますが、それが現在の活躍を支える原動力になっているのではないでしょうか?

 

高橋真梨子『フレンド』発売の秘話

 

母と娘49年間の物語、母親が亡くなる2か月前に『フレンド』という曲が発売されました。

 

もともとコンサートでしか歌われていなかった曲ですが、母親が1番大好きな曲ということで発売されることになりました。

 

特に、冒頭部分の歌詞が好きだった母親

 

「修羅のごとく生きた 青春の抜け殻」

 

発売する時は、ヘンリー広瀬さんの提案で「めいてそして戸惑う青春だった」と歌詞が変更されたようですが、元々の歌詞は、真梨子の母親の人生そのものを表現していたといわれています。

 

「修羅のごとく生きた 青春の抜け殻」

 

原爆の日16歳だった母親、

ジャズマンと結婚、真梨子を産んだ

夫の壮絶な死

娘を失望させながらも他の男性へ

誰かに支えられないと行きられなかった・・。

 

母・千鶴子が生きた人生こそ「修羅の道だった」

 

想像できないくらいの人生だったのでしょうね。

 

真梨子は、

愛情を求めた少女時代

歌が救いだった

そして、歌うことで運命を変えた。

歌えるだけ歌って

最後の最後まで現役

 

「歌うことっていうのは、自分の生きてる証だと思う。自分がそこから歌をとると、どうしていいかわかんない。そういう自分の人生の中の歌かなと思うんですね」

 

2016年9月は、カーネギーホールで日本人初3回目の公演を大成功

 

今も年間50公演を毎年続けている。

 

世代を超えて愛され続けてきた高橋真梨子さんの声

 

最後に母親が残した言葉は、

 

「私は何もできんかったけん、ても1つだけと違う自慢できるのは麻里子を産んだこと」

 

だったそうです。

 

まとめと感想

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高橋真梨子の今と昔の体重は何キロ?若い頃のトラウマや母親との過去について、どうでしたか?

 

今回の記事は、2017年1月に放送された、中居正広の『金スマ』の内容を中心にまとめてみました。

 

私にとって高橋真梨子さんは、少し上の世代の方で、あまり過去をしりませんでしたが・・

 

放送を見ながら、涙が止まりませんでした。

 

世代を超えて引き継いていきたい方(歌)ですね。

 

 

高橋真梨子さんが紅白歌合戦でトリを務めた『12月31日の大晦日』は、母親の命日でもあったようですね。

 

きっと天国のお母さんも高橋さんのご活躍を見ていたと思います。

 

高橋真梨子さん、これからも体調には注意して頑張ってくださいね!!

 

最後までお読み頂きありがとうございました。

 

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