いよいよ開幕が目前に迫ったリオデジャネイロ・オリンピック!

48年ぶりのメダル獲得を目指すU-23日本代表。そのメンバーの中でも随一のテクニックを誇る生粋の10番、中島翔哉(FC東京)選手の魅力を紹介します。

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中島翔哉はビッグマウスで生意気?

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中島選手は1994年8月23日生まれの現在21歳、東京都八王子市出身で、小学校に入学後間もなく、八王子の地元少年サッカークラブ「松が谷FC」でサッカーを始めます。

この頃から非常に努力家で負けず嫌いな性格として知られ、ボールを持ったら誰にもパスをせずに、例え年上相手だろうと、複数のDFに囲まれていようと、自らドリブルで果敢に勝負するような少年でした。

ブラジル代表のロナウジーニョ選手に憧れ、「将来はバルセロナの10番を背負えるような選手になる」という大きな夢を抱きながら、片時もボールを離すことなくテクニックを磨いていった中島選手。

小学5年時には、そのテクニックを見込まれ東京ヴェルディの下部組織へ入団します。

その後、2012年にはオランダの名門アムステルダム・アヤックスの合宿に参加、ここで「点を取ることへの意識の薄さを痛感し、帰国後はそれまであまり力を入れてこなかったという、シュートテクニックに磨きをかけるなど、選手として更なる成長を遂げていきます。

同年の天皇杯2回戦ヴェルスパ大分戦でトップデビューを果たすと、翌J2、33節アビスパ福岡戦でリーグ戦初出場&初ゴールを決める活躍を見せます。その後の栃木SC戦ではJリーグ史上最年少でのハットトリックを達成(18歳59日。1993年に松波正信選手が記録した18歳364日の記録を19年ぶりに更新)し、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いでプロのキャリアを積み重ねていきます。

しかし、その後はテクニシャン故の扱いにくさを指摘され、リーグ戦での出番が減少、2014年には新たな活躍の場を求めJ1、FC東京に移籍します。同年、中島選手のプレースタイルを高く評価する安間監督からオファーを受ける形でカターレ富山へレンタル移籍するも、プレー面で孤立する場面も多く、その攻撃センスを十分に発揮することはできませんでした。

しかし、富山での数か月の経験は選手としての大きな成長の糧となり、FC東京に復帰後は徐々にチーム内での存在感も増し、2015年6月20日の16節サガン鳥栖戦でJ1初得点を記録し、今後の更なる飛躍が期待されています。

中島選手のプレースタイルの最大の特徴は、164センチという非常に小柄な体格ながらも、類まれなドリブルセンス、パスセンスを兼ね備え、相手DFを翻弄し、攻撃の起点となれる点にあります。現代サッカーでは珍しい生粋の10番の選手で、観る人をワクワクさせるようなプレーが特徴です。

中島翔哉はリオ後に移籍の噂?海外の反応は?

オリンピック予選を兼ねた、AFC U-23選手権2016では攻撃の起点として、オリンピック出場権獲得に大きく貢献、大会MVPを獲得する活躍を見せました。本大会でも10番を背負うことが決まっており、その活躍が期待されています。

また、常に目標を高く掲げ、サッカーをやっているからには、常に世界ナンバー1を目指したいという発言もあり、その発言の内容から

ビッグマウス

とも呼ばれている中島選手。

日本ではこのような発言はあまり好意的に受け止められない傾向がありますが、プロのサッカー選手である以上、世界一を目指すことは当たり前のことです。

若くしてアヤックスに留学した経験があり、海外志向も強いとされる中島選手。多くのスカウトが集結するオリンピックのピッチで躍動し、選手のとして大きく飛躍することを期待したいですね!

中島翔哉まとめ

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「中島翔哉はビッグマウスで生意気?リオ後に移籍の噂?海外の反応は?」

どうでしたか?

世界有数のビッククラブで活躍するようになった本田圭佑、香川真司、長友佑都、長谷部誠などを中心に近年、日本サッカーはめざましく発展してきました。

しかし、そろそろ世代交代を考えないといけない時期なのかもしれません。私はその中心にいるのは中島翔哉選手だと思っています。今後の中島選手に期待しています!

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最後までお読みいただきありがとうございました。

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